父の死について

この夏、3人目の子供が生まれた8日後に父が亡くなった。
私と赤ちゃんが退院して2日後のことだった。

父は春から入院していて、悪くなったり、少し良くなったりしながら、
最後は、上がるより下がる方の幅が大きくなっていった感じで息を引き取った。

でも私達(子供達)や孫達が行けば何度も復活する姿を見て、
本当にお父さんは家族想いの、良いお父さんだったなと思う。

思い出すのは私がしてもらったことや、私の子供にしてくれたことばかりで。

酔っ払えばテレビ電話をかけてきて、職場の皆さんや飲み屋の女将さんを紹介されたりした。
社員旅行で海外に行く時も、保険よりこっちの方が効き目があると家族写真を持って行ってた。
初孫の息子が生まれてからは、温度湿度計とか、離乳食保存用の小さいタッパーとか、
「よくそんな細かいことに気がつくな」というような日用品を買っては
ナイスタイミングで車で持ってきてくれてた。
100均で使える台所グッズとか、ぐちゃぐちゃに遊んでも惜しくないようなオモチャとか、ペットボトルのオマケで子供が喜びそうなやつとか、
そういうのを見つけてちょいちょい持ってきてくれてた。

私が「やりたい」と言ったことは、「どれくらい本気でやりたいか。何故それをやりたいか。」を聞いた上で、父が納得したらやらせてくれた。
行きたい場所にも連れて行ってくれた。

どうにも解決しにくい問題や悩みがあった時にも話を聞いてもらってた。
父母の答えは、どんな人より私のことを分かってくれてるので納得できたり、心が晴れた。

あまり何も返せなかったけれど、それもお父さんの性格だと思う。
お母さんも、「私に何もさせずに逝ったからなあ」と言っていた。

100カ日が過ぎたって、全く一区切りがついたという気はしないし、
お父さんにやってもらった事を次から次へと思い出す。
多分一生、子育てをしながらお父さんのことを思い出し、お父さんが私達にしてくれたことを考えると思う。

そしてお母さんと、兄妹と、お父さんの話をして過ごすと思う。
返事が返ってこないことは寂しいけど、
困った時は今までにお父さんが話してくれたことや、してくれたことを思い出して、考えればいい。

それぐらい、充分してもらったと思う。

しかしまだ悲しい。なんでもう少し生かしてくれなかったんだろうと思う。
涙が出る。仕方ない。

成長

子供たちはどんどん新しく出来ることが増えて、
お兄ちゃん・お姉ちゃんになっていって誇らしげ。

でも代わりにやらなくなったこともいっぱいあって、
下の子は自分の影を怖がって逃げることはもうないし、
上の子はウワーンと大きな声で泣くことはもうしない。

出来るようになる喜びは親にとってもすごくて
逆に出来なかったら「なんで出来ないんやろう」って悩むと思うし
勝手に色んなことを吸収して自分なりに成長するって
すごいなーって思う毎日。

春は特にそういうの実感する。

そしてこの春、お父さんは自分の力だけでは呼吸が出来なくなった。
今は機器に助けてもらってる。

また呼吸を自分で出来るようになるとこから頑張ってもらおうと
家族はお見舞いに行ったり祈ったりするしかできないけど
今、全部を看護師さんと機器に助けてもらっている自分のこと
お父さんはどう感じているんかな。

それでも息子娘や孫たちの顔を見たら嬉しそうな顔してるし、
何回も病気を克服してきたから、
今回も復活してくれると思う。

とりあえず、車椅子とかでもいいから外に出られるようになるのが目標かなぁ。

その前にちょっとずつ出来ることを増やして行くんやけど、
それは確実に前進しているお父さん。

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