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始めてからもう 
13年も経ってる。

びっくりした。
更新のして無さにもびっくり。

このブログのタイトルの由来の 
木の家
ぼろぼろの木の家 

子供が生まれる少し前から住居ではなくなってたけど、
ついに手放すことになりました。 

その前に何かしらイベントをやる予定です。

夏ぐらいに。

思い出文化祭

高校の時の文化祭で、部活の有志でバンドもどきみたいなんして歌うたったの、思い出してる。
私は楽器が何もできなかったのでボーカル。
私より歌が上手い子がいたのでその子達がハモってくれて3人ぐらいでボーカルして。
部活の他の子も出たい出たいってなって、じゃあ何やる?って、タンバリンやマラカスもいたなー。
私これできるよ、これやったら練習したら何とかなりそうやからやるー!、とか
そんなんでパートが決まって、
誰がイニシアチブとってたとかじゃなくて
みんなでワイワイ話しながら放課後に練習して、
やりたい曲が2曲から絞れんくて、
じゃあ2曲どっちともにしよってなって、
でも2曲分の時間は与えられないから
どっちを先に歌うとか、どこからどこを歌うかとか、
今思えば構成やねんけど、それもワイワイ歌いながら決めて。
本番めちゃくちゃ緊張して震えたけど楽しかったなー。
客席の、中学から一緒の男子が最初に立ってノリはじめてくれたから、前方の子らがみんな一緒にノってくれたなー。
終わったあとに会場体育館裏で、その
最初にノってくれた男子に会って、
無言でニヤつきながら拍手してくれたの覚えてる。笑

最近の美味しいもの

最近食べた美味しいものの写真
っていっても2019の半ばぐらいから

父の死について3

お父さんが病気になったこと
お父さんが病気で亡くなったこと

この2つがお母さんに与えた影響、、というか

お父さんが病気になって
付き添って、言うことを聞いてあげて
今まで頼りきっていた人に頼りにされて
頼むぞお前、となったお母さんのことについて

最後まで、お父さんはどう思ってたんやろうなぁ
と、考え続けたお母さんについて

今までお父さんに
政治だろうが、テレビで流れてくることだろうが、子供達を取り巻くことだろうが、
自分の考えを好きにお父さんに喋ってたお母さんが、
お父さんにも言いたいことが言えなくなったことについて
(それは負担をかけたくないからに他ならず)

今までお父さんには言いたいことを言ってバランス取ってたであろうお母さんについて

お父さんもお母さんもなんも悪くないけど

「あとのことは兄妹でなんとか頼むで」

と言ったお父さんの顔をよく思い出す最近。

2人とも我慢強すぎた。

我慢はどこかに無理がくる。
自嘲も込めて。

柔軟じゃないところ

うちの夫ちゃんは、だいたい柔軟に対応できる感じの人だけど
あるポイントではまっったく柔軟ではない、むしろ初めからナシ!と切り離すことができる。

私も結構そういうところがある。
この辺受け入れてくれるのにコレはあかんのかーい!!と人に言われることもある。

そのポイントが私と夫ちゃんは似ているかもしれない。
(だから一緒にいる)

その
柔軟にできる、できない
受け入れられる、られない
について、
「物事にこだわりがある」という前向きな表現ではないこと、
「ちょっとそれはできん」「やっぱ無理やな」という
後ろ向きな表現の方がピッタリくる感じがする。

でもそこを自分の中で守るの大事。

父の死について2

あの日の朝、お母さんからメールがきて、それは
「お父さんの顔色が悪いように思うからいつもより30分早く病院に来てください。あくまでも私信です。と、いつもの看護師さんから電話がきた。」
というもので。
私は
「わかった。何かあったらすぐ連絡して。」
と返したんやけど、
今日いきなり、

あの時、そのメールを見てすぐにタクシーに飛び乗って病院まで行ってたら間に合ったかどうか

を考えてしまい、マップで経路を調べた。

結果は、
タクシーに飛び乗ってたとしても
死亡診断書に書かれた時間には間に合わなかった。

お父さんは、多分自分でも分かって、
最善の、完璧なタイミングで、自分の息を引き取った気がする。
もちろんもっと生きたかったと思うけど、
意思とは無関係に体が無理だと言っている中、
無念だけど、終わらないといけないならここだ、という日に亡くなった。
と思った。

最期までスケジュールに厳しかったな。。

出産前の最後のお見舞いの時に
出産する予定の日、退院の日、そのあと夫と長男が1ヶ月半の海外に出発する日、を
カレンダーを指差しながら伝えて、それにお父さんは頷いてた。

父の死について

この夏、3人目の子供が生まれた8日後に父が亡くなった。
私と赤ちゃんが退院して2日後のことだった。

父は春から入院していて、悪くなったり、少し良くなったりしながら、
最後は、上がるより下がる方の幅が大きくなっていった感じで息を引き取った。

でも私達(子供達)や孫達が行けば何度も復活する姿を見て、
本当にお父さんは家族想いの、良いお父さんだったなと思う。

思い出すのは私がしてもらったことや、私の子供にしてくれたことばかりで。

酔っ払えばテレビ電話をかけてきて、職場の皆さんや飲み屋の女将さんを紹介されたりした。
社員旅行で海外に行く時も、保険よりこっちの方が効き目があると家族写真を持って行ってた。
初孫の息子が生まれてからは、温度湿度計とか、離乳食保存用の小さいタッパーとか、
「よくそんな細かいことに気がつくな」というような日用品を買っては
ナイスタイミングで車で持ってきてくれてた。
100均で使える台所グッズとか、ぐちゃぐちゃに遊んでも惜しくないようなオモチャとか、ペットボトルのオマケで子供が喜びそうなやつとか、
そういうのを見つけてちょいちょい持ってきてくれてた。

私が「やりたい」と言ったことは、「どれくらい本気でやりたいか。何故それをやりたいか。」を聞いた上で、父が納得したらやらせてくれた。
行きたい場所にも連れて行ってくれた。

どうにも解決しにくい問題や悩みがあった時にも話を聞いてもらってた。
父母の答えは、どんな人より私のことを分かってくれてるので納得できたり、心が晴れた。

あまり何も返せなかったけれど、それもお父さんの性格だと思う。
お母さんも、「私に何もさせずに逝ったからなあ」と言っていた。

100カ日が過ぎたって、全く一区切りがついたという気はしないし、
お父さんにやってもらった事を次から次へと思い出す。
多分一生、子育てをしながらお父さんのことを思い出し、お父さんが私達にしてくれたことを考えると思う。

そしてお母さんと、兄妹と、お父さんの話をして過ごすと思う。
返事が返ってこないことは寂しいけど、
困った時は今までにお父さんが話してくれたことや、してくれたことを思い出して、考えればいい。

それぐらい、充分してもらったと思う。

しかしまだ悲しい。なんでもう少し生かしてくれなかったんだろうと思う。
涙が出る。仕方ない。

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