今日は朝から雨で、
得意のカッパにキャップをかぶって
自転車で会社に行ったけど、
ドアを開けたら朝礼が始まっていた。
そうや私って今週 朝礼当番やったわ。
急にブログを書こうと決めて、
初めての回?なので
以前人に書いてもらった「臼井 沙代子論」をここで。
臼井 沙代子
フランシス・ベーコンが自身の絵画を「残酷であり、恐ろしいものだ」と評された折りに
「動物としての人間の姿を描いているだけ」であると答えた。
この2つの異なる判断の間に、言語を基調としたロマンチスムが横たわる。
臼井沙代子のパフォーマンスは揺らぎのない言葉やその奥に人々が安易に見たがる理想的な(ときにステレオタイプにつぎはぎされた)景色、仕組み、物語、イデオロギーに回収されない。
なぜか。
生活に起因する生理感覚から生み出される運動としての判断、現場での肉体の呼応こそがヒトの本性であり知性であるという発想と技術に基づいた役者だからである。
シンプルで、パンクな存在。
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